徒書

2003年4月分。


2003年4月2日

Becker'sでアイス烏龍茶を頼んだところ、ストローが出されなかったのでそのままコップから飲んでいたのですが、思わぬ罠がありました。量が減ってくると当然コップを傾けることになるのですが、ある角度に達した時に底に溜まっていた氷が急に手前へ滑り落ちてきて、その勢いで液体も口方向へどっと押し寄せてきたのです。突然のことになす術もなく、口の周りから烏龍茶をこぼすという社会人らしからぬ失態を理不尽にも演じさせられる羽目になってしまったのでした。

ここ最近で一番かなしいできごとでした。

(2003年4月3日)


2003年4月11日頃に読んだ本

しごと場が移転したので通勤時間が増えてしまったのだが、その分本を読む時間が増えた。新宿を通っていくので大きな本屋にも寄りやすくなった。

というわけで、ウェブではよく見かけていて興味を惹かれていたものの近くの本屋ではなかなか見つからなかった、舞城王太郎の本を買って読んでみた。『煙か土か食い物』は冒頭から引き込まれ、三日ほどかけて面白く読んだ。その勢いで、帰宅途中に『暗闇の中で子供』も買ってその一晩で読んだ。……こちらも話に引き込まれたからこそ一気に読んでしまったのだが、一晩で読むのは勿体なかったような。数日間ほど楽しんだ後にこのラストを迎えた方がよかったかも。

更に続けて続編を買うのは何となくためらわれたので、寄り道して西尾維新の『ダブルダウン勘繰郎』を読んだ。量が短いこともあったが、これも一気に面白く読んだ。そういえばJDCのシリーズは最初の二冊しか読んでいなかったので、続きも読んでみようかと思う。

* * *

前に作ってみた、urn:isbn:のリンクをAmazon.co.jpへのリンクに変更するスクリプトを実験的に仕込んでみました。んでもって密かにアソシエイト・プログラムに申し込んでいたりします。

(2003年4月13日)


漢字文化資料館

5日ほど前になりますが掲示板で田島さんより、大修館書店:漢字文化資料館というサイトを紹介頂きました。大修館書店と言えばは当サイトの大いなる元ネタでもある『大漢和辭典』の出版元であります。漢字に多少なりとも興味を持つ方であれば、漢字Q&Aコーナーは読んで損はありませんですよ。幾つかご紹介。

Q2003 「々」はなんと読むのですか?
Q4006 一番画数の多い漢字はどんな漢字ですか?
漢字における二大FAQもそつなく掲載。
Q2007 「重複」という熟語は、「ジュウフク」と読むのと、「チョウフク」と読むのと、どちらが正しいのでしょうか?
Q2008 「相殺」という熟語を「ソウサツ」と読む人がときどきいますが、これも正しいといえるのでしょうか?
慣用読みについても、根拠を述べて認めてよいものとやはり誤りとすべきものを分けているあたり、バランスのよい解説であります。
Q2005 中華料理屋さんの飾りなどで見かけるは、どういう意味の漢字ですか?
む、(双喜)は字でなくてマークでしたか。でもUnicodeには入ってますね。
Q2006 「希望」という熟語は、訓読みすると「まれなのぞみ」となってしまって、ニュアンスが違うような気がするのですが、それでいいのでしょうか?
「希硫酸」も「稀硫酸」と書くべきなのだよなあ……と高校の化学の時にそれを実践していたことを思い出してみたり。
Q4002 「品」の部首は「口」ですが、3つあるうちのどの「口」なのでしょうか?
回答内容はともかく、こーゆー質問の考え方は好きです。個人的ベストクエスチョン。
Q3002 東京の地下鉄「こうじまち」駅には、「麹」との2つの表示があるみたいですが、どちらが正しいのですか?
異体字マニアの間では有名なスポットになっています。……そ、そうだったのか! 知らなかった……(なぜか敗北感)

ひさびさに漢字サイトらしきことをしてみました。

(2003年4月15日)


鳥肌が立つほどの

4月16日の闇黒日記で、「鳥肌が立つ」という言葉について以下のように述べられていましたが、「鳥肌が立つ」という言葉の使い方について正しいとか誤りだとかを論ずる、ということ自体が、自分には今一つよく分からなかったりします。

誤つた意味で使つてゐる人の方が最近は多いやうだ。困つたものだと思ふ。

や、一応知識としては、「鳥肌が立つ」という表現は恐怖や嫌悪などネガティブな感情が生じた時に使うのが正しいとされているらしいということは知っていますが、それはなんと言うか「耳にたこができる」「足が棒になる」みたいな慣用句・言い回しとして「鳥肌が立つ」を解釈されてみたいで、ものすごく違和感があるのです。

だってある人が「鳥肌が立つ」と述べる場合というのは、実際に鳥肌が立ったからこそそう述べるんではないでしょうか。ただ言葉通りに、ありのままの事実として! ……と、自分は今まで思っていたのですが、違うのでしょうか。原因となった感情が否定的・肯定的いずれであろうが、実際に本人の身に鳥肌が立ったのであれば、それに対して他者が正誤を論ずることは無意味ナンセンスと思うのです。まるで「笑いすぎて涙が出てきたよ」という事実の叙述に対して「涙は泣く時に出るものだからその言い方はおかしい!」と返された場合のような、「そんなことを言われても」的感情が頭の中を漂います。

あれ、もしかしすると現代における世間一般の人たちは、身体機能的に実際に鳥肌が立つことはもうなくなっていて、でも言い回しとしてそういう言葉が伝わっているからというので「鳥肌が立つ」という言葉を使っているのでしょうか。であれば慣習上使い方が誤りである、という意見があるのも理解可能なのですが。でもそれはそれで「怖い時に実際に鳥肌が立たないのに『鳥肌が立つ』って言ったり書いたりするものなの?」という疑問が湧いてきたり。はてさて。

わたくし自身は、感動した時やエキサイトした時にも鳥肌が立つのは時々あることなので、「素晴らしい演奏を聴いて鳥肌が立った」のような文も違和感なく共感できるし、機会があれば自分でも躊躇なくなくそのように書くと思います。だって立つんだもの。

* * *

ところで鳥肌と言えば、「自分の意思で鳥肌を立たす」というのは果たして一般的な動作でありうるのでしょうか。や、自分はときどきやるのですが、今まで他の人ができるかどうかを尋ねる機会があまりなかったので。眠い時に意識を呼び覚ましたい時とか、夏の暑さの中で一時の涼を得たい時とかにしてます。

(2003年4月17日)


北村曉 kits@akatsukinishisu.net