柔らかい土

 村外れの森の中で、勘太カンタメグミを刺してしまった。
 どうしてそうなったのかは誰も知らない。

 勘太の手の力が抜けると、恵の体は腹に刺さった短刀とともにゆっくりと倒れた。じわじわと服に血がにじむ。勘太はその場から逃げることもなく、表情を変えることも無く、ただ見つめていた。
「痛い」恵が呟く「痛い」繰り返して「痛い痛い痛い」勘太の目を見つめて。
 そして、ぽろぽろと涙をこぼすのだった。
 勘太は傍にしゃがみ、「御免」と言った。
 そして腹から短刀を抜こうとしたが、恵の「やめて」という声を聞いて手を止める。出血がひどくなることを恐れたのだろうか。やむなく、勘太は短刀をそのままにして、恵に肩を貸して立たせ、森を出ようと歩き始めた。痛い痛いと呟く恵に勘太は「御免」「村に着いたらすぐに治すから」と声をかける。
 その時、茂みの中から何かが現れ、二人の前に立ちはだかった。
 人のようでもあったが、背は子供のように低く、全身痩せこけているくせに腹だけが妙にふくれている。この森に棲むと言われる餓鬼かと思われた。――力は弱く、何かを襲うことはないが、動けない生き物なら何でも食らい尽くす――勘太は村人からそのように聞いていた。
「やあ、大変なことになってるな」恵の傷を見て、餓鬼が勘太に言った。勘太の顔が蒼ざめる。
「こいつを村に連れて帰ってどうする」
「傷を治すさ」
「助かるかね」
「助けるよ」
「たぶん助からないだろうよ」
「うるさい」
「そしたらお前も罪人だ。きっと無事では済むまい。それよりその娘をおれにくれないか。そうすれば、お前は村に帰っても知らぬ存ぜぬで通せば済む」
「恵を貰って、どうする気だ」
「勿論おれが食らうのさ。安心しろ、骨や服まで残さず平らげてやるぞ」そう言って、餓鬼はぺろりと舌なめずりした。
「言いたいことはそれだけか」
 勘太は構わず、恵を連れて進もうとする。しかしなおも餓鬼は行く手を阻んだ。
「どけよ、餓鬼」
「まあ待て待て。それほどまでに娘を助けたいのなら、仕方ない、食うのは諦めてやるが、傷を治したいのならいい方法を知ってるぞ」
「何だと」
「と言ってもすぐには信じられんか。まあそれはお前の勝手だが、娘を助けたいのならついてきな」
 そう言うと、餓鬼はひとりで森の奥へ入っていった。
 勘太は少しの間その場にたたずんでいたが、結局恵を連れて餓鬼を追った。

 餓鬼は跳ねるように奥へと進んでゆく。勘太はそれを懸命に追うが、傷を負った恵を連れてはなかなか先に進めない。
 危うく餓鬼を見失いかけたところで、前の方から「着いたぞ」と声がした。勘太は恵を抱えてそちらへ急ぐ。
 日の光の射すところに餓鬼は立っていた。その辺り、幅十間ばかりの円い空地には木は無く、草だけが生えていた。さらに真ん中の方には、草も無く土だけがむき出しになった幅二間ほどの場所があった。
「こっちに来い」
 餓鬼はその土のある場所の中心へ歩いていった。勘太も恵を抱えて進む。恵はもうだいぶ弱っている。
 土は、平らにならされていたが、踏んでみるとまるで人の手で耕したかのように柔らかかった。何とも不自然だな、と勘太は思った。
「ここにその娘を置け。そしたら土の外へ出ろ」
「何をする気だ。まじないのたぐいか」
「まあそんなものだ」
「本当に恵は助かるんだろうな」
「ああ」
 勘太は恵を土に置いた。恵の体が土にやや沈んだ。
 勘太が土の外へ出ると、餓鬼はしばらく何事かをぶつぶつと呟いた。そして恵の腹に刺さった短刀をつかみ、一気に引き抜いた。
 恵は叫び声を上げた。腹からは血が吹き出す。餓鬼はすばやく土の外へと走り出た。
「何をする」
 勘太は餓鬼につかみかろうとしたが、その途端餓鬼がその足をしたたかに蹴る。勘太はその場へ崩れ落ちた。
「おとなしく見ていろ」と餓鬼が言う。
 勘太は餓鬼を憎々しげに見つめ、そして恵の方を見た。
 恵の腹からは涌き出る泉のように血が吹き出し、土の中へ染み込んでいった。血ばかりではなく、臓物までもが吹き出ていた。いや、吹き出たと見えたそれは、まるでそれ自身が意志を持っているかのように動いていた。腹から出て土に触れた臓物は、次々とその土の中へと潜っていった。
「いったいどうなってるんだ、これは」
「柔らかい土は、滋養が豊富だからな」餓鬼が言った。「体のあらゆる部分が、それを求めて土へ入ってゆくのだ」
 今や臓物ばかりでなく、骨や肉までもが恵の腹から這い出し、土へ潜っていった。もはや恵の体は人の態を成していない。
 最後に皮が土へ潜り、恵は完全にいなくなった。血も残らず土の中へ染み込んでおり、後には恵の服と、土のへこみだけが残った。
 餓鬼は土の外から、片足で確かめるように土に触れてみた。そして「もういいだろ」と言うと一歩踏み出した。勘太もついて行く。
 恵のいた場所に来ると、餓鬼はぽん、と手を打った。
 すると土の中から何かが生えてきた。一見、何かの草かと思われたが、その二つに枝分かれしたものの先についていたのは、どうやら目玉のようだった。
「ああ、恵の目が」と勘太が言うと、
「芽さ」と餓鬼がつぶやいた。
 芽は、勘太の顔の方を向くと、ぽろぽろと涙をこぼし始めた。しばらくそれが続いたが、やがて泣き疲れたかのように芽を閉じてしまった。
「これで良し」餓鬼は満足そうに言った。
「何が良いものか。恵は芽だけになってしまったではないか。傷を治すのではなかったのか」
「あせるな。娘の体は土の中でちゃんと生きておる。今はやすみの時だ。元通りの体に戻るには日にちがかかる。まあ待つことだ」
「それなら、一体いつまで待てばよいというのか」勘太は重ねて訊く。
「そうだな」少し考えて、餓鬼は答えた。「蝉の声を聞いたら、また来てみるがよい」

 蝉の鳴き声が聞こえた途端、勘太は森へ駆け出した。
 実はその前にも勘太は何度か森へ行っていた。しかしあの柔らかい土のある空地にはどうしても辿り着くことができなかったのだ。だが今、夏になってから森に入ってみると、空地への通り道が鮮明に思い出された。なぜ忘れていたのかが不思議なほどに。
 空地へ着いてみると、柔らかい土の真ん中には一本の木が立っており、その下では餓鬼が昼寝をしていた。
「餓鬼」
 勘太が呼びかけると、餓鬼は目を覚ました。
「ん、お前か。そうか、もう夏だな」
「恵はどうなった」
「はは。いきなり来て気の早いことだな。娘なら、これがそうさ」
 そう言って、餓鬼は傍の木を指した。
「これが……」
 勘太は改めて木を見た。前に見たときは小さな芽であったのが、今では立派な木となっている。幹は太く、葉はその木陰で涼めるほどに青々と茂っていた。
「あの芽がこんなに大きくなるとは」
「そこはそれ、滋養の豊富なこの土の御陰だな。おい、お前の男が来たぞ」
 餓鬼が木に向かって呼びかけると、木の、たくさんある枝先のそれぞれについている芽が次々に開き、そして一斉に勘太の方を向いた。勘太は思わずぎょっとする。
 芽たちは、勘太を見つけるとまたぽろぽろと涙をこぼし始めた。それで木の下は小雨のようになったので、餓鬼はうひゃあと叫んで木陰から飛び出した。
 しばらく涙をこぼした後、木は泣き疲れたかのように芽を閉じた。
「おい餓鬼」
「何だね」
「恵の体はどうなるんだ。まさかずっと木のままなのか」
「心配するな。まだ日にちがかかるが、ちゃんと元通りの体になる。あれを見てみろ」
 そういって、餓鬼は木の茂みを指す。
「あれってどれだ」
「芽のあたりだ」
 よく見ると、芽のすぐ傍には小さな丸いものがぶら下がっていた。丸いものはおのおのの芽にひとつずつ付いていた。
「おお、実か」勘太が言うと、
「身さ」と餓鬼が呟いた。
「あの身が熟れたときに、娘は元通りになるだろうよ」
「いつ熟れるんだ」勘太が問う。
「そうだな」少し考えて、餓鬼は答えた。「公孫樹いちょうの葉が落ちたころ、また来るがよい」

 村に生えていた公孫樹の木の、きいろい葉を見ていると、勘太は待ちきれなくなり、足で木の幹を蹴った。うまい具合に葉が一枚落ち、それを見て勘太は森へ駆け出した。
 空地へ着いてみると、木はまだあり、その下には餓鬼がいた。
「餓鬼」
 勘太が呼びかけると、餓鬼は振り向いた。驚いたような顔をしている。
「お前か。早いな。もう公孫樹の葉が落ちたのか」
「ああ、だから来たんだ」
 餓鬼はしきりに首をひねる。
「すまんな。身はまだ完全には熟れていないんだ」
 勘太が木を見ると、あれだけ茂っていた葉はすっかり落ちており、代わりに楕円の形をした大きな身が幾つもぶら下がっていた。人がひとり入れるのでは、と思えるくらいに大きかった。
「どうやら熟れる時をまちがえたか」と餓鬼が呟く。勘太は、木を蹴って葉を落としたことは言わなかった。
「たぶん、明日には完全に熟れると思うのだが」
「そうか」
 それで勘太は一旦村へ帰った。

 明くる日、勘太が森の空地へ来てみると、木に生っていた身はひとつ残らず無くなっていた。餓鬼は木の下で寝転がっており、その腹は異様に膨れあがっていた。
 勘太は駆け寄り、餓鬼を叩き起こした。
「おい餓鬼」
「ああ、お前か。俺は今腹一杯で動けんのだ、休ませろ」
「まさかお前、身を」
「ああ、食わせてもらったよ。やはり熟れる直前の身は旨いな」舌なめずりをして餓鬼は答えた。
「貴様」餓鬼につかみかかる勘太。
「わ、待て待て。勘違いするな、全部食ったわけじゃないぞ。ちゃんとひとつ残してある」
「何だと。本当か」勘太は餓鬼から手を離した。
「よく見ろよ。木の裏に落ちてるよ」
 言われたとおり、木の裏に回ってみると、確かに大きな身がひとつ横たわっていた。近寄って見ると、身の皮はすっかり乾いており、素手でも容易に剥けそうだった。勘太は身に触れ、恐る恐る皮を剥いていった。
 程なく、中身が見えてきた。そこには、生まれたままの姿の恵が膝を抱えて横たわっていた。
「恵!」
 勘太が呼びかけると、恵はゆっくりと目を開ける。
「……勘太」
 そうして、やはり目から涙をぽろぽろとこぼすのだった。
 勘太も恵を抱き寄せ、泣いた。

 柔らかい土に生えた木は、実はその後も毎年身を生らし続けたのだが、そのたびに餓鬼がすべて食らい尽くした。――木が枯れるまで。
 だから、それ以上恵の身が増えることにはならなかったし、餓鬼も身を毎年食えて満足だった。

 勘太と恵の二人が、そのあとどうなったかは……やっぱり誰も知らない。■

北村曉 kits@akatsukinishisu.net