物語選び屋

「物語選び屋」という職業があるのを御存知だろうか。
 小説、映画、漫画、演劇、TVドラマ、アニメーションなど、昔から「物語」と名のつく物は山ほどあるが、二十一世紀に入ってからというもの、新たに作られる「物語」は加速度的に増え続けている。また「物語」はその媒体についても、内容についても多様化してきていて、小説本一つ探すにしても、自分が本当に読みたいものを探すとなると一苦労である。
 そんな時代のニーズに応えてかどうかは知らないが、最近「物語選び屋」というものの存在が、我々読書マニアの間で(勿論映画、漫画などのファンの間でも)まことしやかに噂されている。「物語」を欲する人の精神をコンピュータで分析し、人類発祥以来世に出ているあらゆる種類の「物語」(という噂だ)の中から、その人が本当に観賞したいものを一つ選んでくれる、というものらしい。
 とはいえ物語選び屋の仕事は「物語を選ぶこと」だけであって、その物語を手に入れるには客本人が動かなくてはならない。その物語が近所の本屋で売っている文庫本なら運のいい方で、例えば、

(その一)金持ちのAさんは今では上映されてない映画を選択されたので、フィルムを自分で手に入れて近所の映画館を借り切ってそれを見た。
(その二)小学校の先生であるBさんは演劇を選択されたので、学芸会の際に生徒にそれを演じさせた。
(その三)神奈川に住むCさんは山形県在住の米田イネさん(九十二)の昔語りを現地にわざわざ聞きにいった。

ということもあるそうだ。
 しかしそんな苦労にも関らず、選択された物語を観賞した者は確実にそれに満足する、と言われる。
 僕もかねがね「物語選び屋」の噂は聞いていたが、最近ひょんなことから(ところで「ひょん」て一体何だろう?)その所在地を知り、これから行こうと思っているところだ。

 物語選び屋は新宿の或る小さなビルの地下にあった。
 暗い照明の中で階段を降りていくと、一つのドアにつきあたった。ドアには小さな看板がついており、「四月朔日堂」と書いてある。
「エイプリル・フールとは人を食った名前だな……。もしかして騙されたかな?」と思いながら、恐る恐る扉を開けた。
 中は意外に小さな部屋で、一人の老人がコンピューターの前に座っていた。四方の壁は全面大きな本棚になっていて、大量の本、ヴィデオテープ、CDなどが入っている。
「いらっしゃい。あんたも『物語』に取り憑かれた人かね?」とその老人は言った。
 心の中を見透かされた様な気がして、「え、ええ」と少々照れながら答えた。
「ふふふ……。ま、ここに来るものはみんなそうだがね」
「それにしても、物語選び屋は物語を選ぶだけと聞いていたんですが、ここにあるものは……?」
「確かに基本的にはわしの仕事は選ぶだけだが、時々、このコンピュータが今ではどうしても手に入らない物語を選ぶこともあるのでね、一応そういうものはここにストックされておる。客にやるときはもちろん有料だがね」
「成る程」
「では早速あんたの精神を分析させてもらうとしようか。そこの椅子に座ってこれをかぶってくれ」と言われ、ヘルメットにコードが一杯ついたサイバーな機械を渡された。コードはコンピュータに繋がっている。
「これで僕の心の中が分かるんですか?」
「そう。あんたの生まれてからの記憶や性格、考え方まで総てをモニターし、分析して、あんたが今本当に観賞したい物語をここの膨大な物語のデータベースの中から一つ選んでくれるのさ」
 僕はそれを聞いて疑問に思った。「記憶を総てモニターするんですか? 随分なプライヴァシーの侵害ですね。まさかそのデータを他に転用して悪用したりなんてことは……」
「この仕事は信用が第一だからな。あんたの記憶を記録したりネットワークに流したりはしないさ。これに関してはわしの言葉を信じてもらうしかないがね。それとも選んでもらうのは止めなさるかね?」
 そう言われたが、ここまで来て引き返すわけにもいかない。それに「僕が本当に観賞したい物語」とはどんなものか見てみたい。僕は言った。
「お願いします」

 精神分析が始まった。
 先程渡された機械をかぶっても頭には何も感じないのだが、脳のモニターはちゃんと出来ているらしく、コンピュータのディスプレイには僕の記憶のデータらしきものが次々と表示されている。それを見て老人は「ふむ……ふむ……成る程」といちいち肯いていた。 暫くして老人が言った(精神分析はまだ続いていたが)。
「何処かで見たことがあると思ったら、あんた作家のKさんだね」
「ええ、そうです」
「作家さんが物語を選んでもらいに来るとはね、こりゃなかなか面白い……。でも最近はスランプらしいね」
「そんなことも分かるんですか」 「まあね。それでその原因というのが『物語は何の為に存在するのか? それは人間に本当に必要なのか?』てことを考えているからだって?」
「そ、そうなんですよ」思わず身をのり出して言った。
「作家の頭からそんな言葉が出てくるとは思わなかったね。一体どうしてそんなことを考えだしたんだい?」
「だってここ数年どんな媒体を見ても物語で溢れ返っているじゃないですか。その氾濫の仕方と言ったら……」
「あんたみたいなマイナーな作家でも、そこそこ本が売れていい暮らしが出来る程かい?」
 少しむっとしたが、それは本当の事だ。
「そう、その通りですよ。こんなに沢山の物語が毎日生み出され、必要とされているってことは、皆自分の生きている現実の事をあまり考えなくなってきているってことじゃないでしょうか。勿論全部の人がそうだとは言いませんが、物語が沢山作られるってことは、逃避……物語を観賞するってことはある意味で「現実逃避」であるわけで、その逃避を誰でもし易くしているってことなんじゃないか、と思ったもので、それで『僕のやっている様なことは人類の為になっているのだろうか?』という考えが頭から離れなくなってしまって……」
「つまりあんたは、物語で溢れ返っている今の世の中に危機感を抱いているってわけだね。ふむふむ」老人はにやにやしだした。
「何が可笑しいんですか」
「いや最近そういう客が何人かいてね、自分は物語が欲しくてたまらないくせにそういう事を考えている奴がね」
「うっ」痛いことを突くじじいだ。
「ま、そう深く考えることでもないさ。もし物語が人間に不必要てことになったら、あんたもわしもおまんまの食い上げだ」
「……そうですね」
 その時コンピュータからぴーという音が鳴った。
「おっ、お前さんにぴったりの物語が選びだされたようだぞ」
「どんなものですか」
「ふむ……今はもう絶版になっている小説だな。でもここに置いてあるみたいだからコピーして売ってやるよ。ええと……」
 老人は本棚の隅っこの方から一冊の本を持ってきた。かなり古そうな文庫本だ。
「ほれ、この短編集のこの話がお前さんの読みたい話さ」そう言って老人は本の目次の一ヶ所を指差した。
 そこにはこう書いてあった。
『物語選び屋』■

北村曉 kits@akatsukinishisu.net