自転車蜥蜴

 じりりと目覚し時計が鳴り、目が覚めた。しかしまだ朝は寒い。
 蒲団から出ずにいると、壁の方から「さっさと起きんか。今日はだいぶ暖かいぞ」と言う者がいる。
 首を伸ばしてそちらを見ると、ハンガーにかけた上着のポケットから蜥蜴とかげが顔を出していた。
「おはよう」
「うむ」
「今日もついて来る気かい」
「おう。これだけが今のわしの楽しみだからな」

 蜥蜴と会ったのは十一月頃だ。
 夕方、雨戸を閉めようと窓を開けると、何か小さいものがすごい速さでさささっと部屋に入ってきて、部屋にあるこたつ(僕は寒がりだ)の中へ一直線に向かって行った。いったい何だろう、と思ってこたつの中を覗くと、そこに蜥蜴がいたのだ。
「すまんが、こちらで冬を越させてもらえんか」
 赤い光の中で、挨拶も無しに蜥蜴は用件を切り出した。
「冬眠はどうしたの」と聞いてみると、「今年はどうも眠れなくてな」と言う。
 そのまま寒い外へ放り出すのは忍びないので、いいよと答えた。それ以来、蜥蜴は部屋に居ついている。

 僕は自転車で学校へ通っているのだが、蜥蜴も毎日のようについて来る。上着のポケットの中で顔だけ出して、景色を眺めるのがお気に入りのようだ。
 或る日、そうやって風にあたっていて寒くはないのか、と聞いてみた。
「わしらには寒くて体が震えるという感覚は無いのだよ。体温が下がれば動けなくなるだけだからな。で、まあこうしていると確かにそのうち体に力が入らなくなって、このポケットとかいう所の中に落ちるのだが、中にいればそのうち暖まってくるので、また外を眺めに這い上がれるのだ。なかなかいい所だなここは」
「うーん。でもそうまでして眺めたいものかな」
「いやいや、むしろ体温が下がる時の気が遠くなるような感覚が、これまたたまらんのだよ」
 そう言って、上まぶたを動かさず下まぶたを動かしてまばたきし、顔を上げた。恒温動物の人間には分かるまい、とでも言いたげなその様子を見て、人間たる僕はこいつを全くの阿呆だと判断したのだが、蜥蜴としてはどうなのだろう。あいにく今は比べる対象もいない。

 授業を終えて、蜥蜴を拾いに校庭へ寄る。いつもは教室まで連れて行くのだが、「今日は暖かいから外で日光浴をする」と言うので外に置いてきたのだ。
 隅の方で、石の上に乗ってじっとしている蜥蜴を見つけた。手を振ると、向こうもこちらに気がついた様子だ。
 それで蜥蜴の方へ近づこうとした。
 だが、その時視界の外から小鳥が飛んできた。
 小鳥は石の上に降り、蜥蜴をくわえると、すぐに飛び立った。
「あ」
 一瞬、呆然とするが、慌てて駆け寄った。しかし飛ぶ鳥に追いつける筈もない。
 ふと下を見ると、石の傍で何か動くものがあった。
 もしやさっきのことは見間違いだろうか、と思ったのだが、よく見るとそれは蜥蜴の尻尾だった。
「はは、莫迦だな……残す方は逆だろうが」
 尻尾をつまんで、つぶやいた。
 しばらくの間ぴくぴくと動く尻尾を眺めていたのだが、そのうちぱらぱらと小雨が降ってくるので、尻尾をポケットに入れ、家に帰った。

 それが、僕にとっての冬の終わりだったのだと思う。たぶん。

 蜥蜴の尻尾は、まだ上着のポケットの中に入れたままでいる。
 自転車に乗っていると、時々這い上がってその切り口をポケットから覗かせるので、処置に迷っている。■

北村曉 kits@akatsukinishisu.net